11 3月 私の3.1 1
快晴の2018年3月11日、岩手です。
外の気温は朝で0度ですからまだまだ寒い日です。
7年前、私は東京ガス科学館リニューアルイベントの準備で豊洲にいました。
翌日はガスパッチョ新製品お披露目をする料理教室でした。
海に向かって大きな窓ガラスが外の景色をふんだんに見せる趣向のガス科学館。
来場者数も年間30万人(当時)と言っていましたので、
翌日のお客様はさぞ大勢いらっしゃるはず、とスタッフみんなで準備にも余念が
ありませんでした。
※
14時46分。
今までに経験が無かったほどの大地震!
震源地は三陸。
ええっ?
少しずつ入って来る情報、携帯で画像が映し出されて息を飲んだ瞬間。
気仙沼のコンビナートが大爆発を起こして小さな画面が真っ赤になっている。
その間も引っ切りなしに大揺れが来る。
ここから見える首都高速道路も捩れる。
ビルが倒れそうに搖れる。
消防車やパトカーのサイレンがけたたましく鳴り響く。
娘と直ぐに連絡が取れて産まれたばかりの息子と無事を確認。
盛岡の兄とも連絡が付く。
問題は一関に独り住む母の安否。
『ああ、大丈夫!』
その間も私はスタッフとヘルメットを被って野菜を刻んでいる。
中止の指令が出てこない。
外で何がどうなっているのか、まるでわからない。
怒りとも付かない感情がムラムラと吹き出て来た。
新製品のガスパッチョはこの大揺れで火が消えないなんて。
刻一刻と被害が増大している。
津波と大火事、エトセトラ。
事もあろうにこの科学館は夕方5時にいつものように閉館させて
なんと!ビルに残っていたお客様を全員外に出したのだ。
電車もバスも全て止まっている中、どうやって帰るの?
外から営業で帰って来た社員達が口々にパニック状態を伝える。
コンビニに群がる人たちが食べ物の殆どを買って、もう棚には何も無いと言う。
女性スタップの長(私と相性が悪くて上手く仕事が進まなかった人)が
「ここには食べ物がたっぷり備蓄されているので、大丈夫です!」
と心強い言葉を言った。
第一、明日のイベントで用意した食糧も沢山ある。
ようやく明日のイベント中止が決まったのが20時。
全ての判断が遅い科学館。
虚しさといらだつ気持ちを抑えてスタッフ用の食事準備に切り替えた。
もうこうなったら明日の料理教室を今やろう、ここで。
この場に居合わせた女性たちを集めて、ご飯を炊いておにぎりを握るレッスン。
テーブルを片付け、少しでも居心地の良い空間を作るレッスン。
外を守っている警備員さんも集めて総勢50名程のお腹を充す目的で。
みんなで色んな話をしていたらある女性が、
明日は妹の結婚式です、と言って泣いた。
私はイベント用にテーブル花をたくさん用意していた。
当時のスタッフに后ちゃんという女性が居て、彼女はフラワーアレンジを教えていたので、
テーブルのお花を準備していた。
その中で一番綺麗で大きなものを更にアレンジして花束用に彼女にプレゼントした。
何とかお腹を満たし片付けも終わり深夜になった。
するとここの館長が、先生はどうぞお帰りください、と平然と言う。
交通マヒの豊洲から歩いて帰れると思うのだろうか、この人は。
年間30万人も来場者がある科学館のトップのセリフとは思えないこと多々あり、
東京ガスはもう大嫌い!と思った私だった。
※
さて、これが私の311です。
その後、3年間夢中で復興支援をしましたが、実に勉強になったことは言うまでもありません。
ニュースにならないことも現地では聞くことが出来ました。
気仙沼の保育園への直球支援を続けて今でもオーナーの女性とは交流を持っています。
TVではまだまだ復興が遅れている云々とニュースが流れる時に思い出す事があります。
その当時私は広島アンデルセンの料理講座を受け持っていて、
広島アンデルセン相談役の高木さんにお聞きした事柄がありました。
『広島は原爆の後に、どうやってこのように立派に復興出来たのですか?』
これをお聞きして、そのヒントを持って私も支援をしよう、と思っていました。
すると高木相談役は、
『広島は誰も助けてくれませんでしたが、自分達の力でここまでやって来ました。
きっと東日本の方々も出来ます、自分達の力で。』
気仙沼の保育園は園長先生が津波に流されお亡くなりになったので、直後に廃園を申請したそうです。
その後、園児のお母さん達にどうか続けて欲しい、と懇願されます。
亡くなられた園長の姪の方が立ち上がって再興します。
ところが一度廃園したものを撤回する事が出来ない、杓子定規的な対応を受けます。
市の規則でこの保育園は何の援助も受けられないのです。
こんな事ってあるのでしょうか?
ところが、その女性は強く大きな志で園を復興させるのです。
そんな時に巡り合いましたので、ますます支援の力が私も湧いてきました。
311の学びがあるとしたら、
私は高木相談役のあの言葉と気仙沼の保育園を立ち上げた女性の生き方です。
2018年3月11日の記念に。
追伸
2万人もの犠牲者の方々に心よりお悔やみ申し上げます。
生きている私たちは
やらなければならない事を
それぞれの立場で
これからもやり続けましょう。