29 3月 薫風農園物語 2
農業経験が全くない私ですので、何をどうしたらこの農園を守れるのか?それに、屋敷の知識がないので価値が良く分からない。
裏山に植林された樹木たちをどのように管理したら良いのか? わからない事だらけです。
母家の前の庭は日本庭園になっていましたが、手入れをしない 数年間のうちに、植木たちは蔦が纏わりついてもっこりして、 正体不明になりました。
以前母が元気な頃は、父を凌ぐ勢いで、農家の叔父さんたちを アルバイトに使って、収穫した野菜を道の駅に出しました。 父は自慢の野菜たちを売ったりせず、興味のある人たちに 差し上げて、その代わりに海の幸をいただくという物々交換のみでしたので、大胆な母が頼もしく見えました。
父の理想とする農園を一番理解していたのは母です。 志半ばに倒れ、天国の住民となった父の跡を継いで、母はしっかりこの農園を守っていこうと思ったに違いありません。
ところが、月日と共に母の痴呆症が進んできた頃から、農園の管理は盛岡に住む兄がするようになりましたが、兄は何故かこの農園に 興味がないみたいでした。 私は、東京の生活に終止符を打ちたいと、密かに思っていた頃で、 いつか一関に帰りたいと言う願望が、私の中で少しづつ大きくなりました。
時々帰る実家は少しづつ管理が手薄になり、裏山は竹藪に 覆われ、畑の果樹は殆どが枯れて、畑の雑草も草刈りを頼む 回数が減りました。
私はある日、休みを見つけて実家に帰り、ゴム手袋をはめて試しに 植木に絡まった蔦を引っ張ってみました。
「あなたは誰?」そんなことを呟きながら蔦をどんどん引っ張ったら、 取れる、取れる!長い蔦や頑丈なつるが取れて、植木本来の姿が 現れました。
植木たちはちゃんと生きていました。
な〜んだ、怖がることはないのです。 自然や植物は手をかけてこそ生き生きと成長して、私たち人間を励ましてくれます。 自然を大切に、とは何もしないで放っておくことではないのです。
植木の蔦を引っ張っただけで、私は自然や植物から大事なことを 学んだと、今もそう思っています。