薫風農園物語1
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薫風農園物語1

薫風農園物語1

東北新幹線一ノ関駅を降りて、西口から車で 5〜6 分で着く場所に、 私が発信する農園があります。 建物は母家と離れがあり、目の前に広がる畑の土は有機質を たっぷりと含み、無農薬であることだけではなくて、除草剤を使わず、 大型機械を入れずに耕していたので、土がとても柔らかく、歩くと ふかふかしているのが特徴です。

ここはもともと、20 年前に亡くなった父の理想とする自然農園で、 「有機農園とよむら」という名で発信していました。 母家は本格的真壁造りになっていて、釘を使わない無垢材の木組みによる工法で出来ています。 材料全てに化学物質を使っていないので、有害物質を発生させません。しかも、木材は自然乾燥による岩手近辺の天然無垢材のみを 使っているので、居ながらにして肉体が解き放たれる感覚を覚えます。

一関はユネスコの世界文化遺産に登録された平泉中尊寺がある場所とほぼ同じ位置です。

長い間、東京に住んでいた私は、数年前に高齢の母の介護のため、一関に帰って来ました。 母家の大掃除の時、当時の棟上げ式の御札を見つけました。 御札に書かれていた棟梁は正しく中尊寺の棟梁のお名前で、 山田力さんと言う方でした。

確かに父の自慢する母家ではありましたが、その御札を見つけた時、 初めて父の裏付けがれたがして、 『私、ここをってこう!屋敷も畑も!』 と、決意を新たにしました。

薫風農園は、私が一関に帰って来た時に名前を新しくしました。 自分の名前の「薫」の由来は、手足を自由に伸ばして、おおらかに 生きるように。父が名付けた通りに、私は自分の考えを持ち、どこにも所属せず、伸び伸びと生きて来た気がします。

そして、ここでもそのスタイルは変わらず。 大好きだった父の言葉を思い出して、時代に流される事なく今日を 生きています。

薫風農園は三部構成になっています。 一つ目は母家の在り方、二つ目は畑の在り方、三つ目は裏山の 在り方。
三つが繋がって薫風農園になっています。

父はここを娘の私に継がせようと思っていた訳ではありません。 2歳年上の兄が後継者だと常に言っていましたので、まさか私が こんな人生を送るなんて、きっと天国でびっくりしていると思います。

思い出してみると、私がずっと東京で発信していた料理は 無添加・無化学調味料・無電子レンジでしたので、父の理想に強く影響されたいた、と思うのです。

有機野菜がやっと東京でもてはやされるようになった頃、その野菜のなんて貧弱なこと。葉っぱは虫が食べて弱々しくて、がっかりしたものです。 売る側は、これがオーガニックの証拠などと大きな顔で言いました。

でも、父が私の料理教室用に送って来れる野菜達は、大きくて 逞しい香りを放っていましたので、まるで大違いでした。

作り人は魂を込めて研究を怠らず、慈しんで作ると野菜達は必ず 答えてくれます。 

料理作家・国際中医薬膳師

豊村 薫(とよむらかおり)
kaori@kunpu-noen.com